私は、「主義者」や無根拠な「信者」のようなヒトたちはあまり好きではないです。いくら言葉や態度の見てくれが傲慢でも自己否定者ほど謙虚なものはなく、いくら言葉や態度の見てくれが謙虚に見えても自己肯定者ほど傲慢なものはないです。自己否定者は性善説の持ち主です、自己肯定者は性悪説の持ち主です。例えば、デカルトにおいてはスピノザいわくの如く「無限な実体は有限な実体よりも一層多くの実在性を持ち」ません。面白いことに、スピノザは「神の観念」つまり「観念として認識できるところの存在としての神」という人格神であるところの神をあらかじめ設定しているんですね。スピノザはこの「デカルトの哲学原理」の中で神が欺瞞者であるという仮定をしています。……こういったものについては該当哲学者の書いたものを読めば済む話であって、「俺なんか書きました、ああ俺の考えてることなんかデカルトの言ってることと似てるわ。」ということあたりから全ての学びが始まるのであったりします。
デカルトは自分の考えに対する如何なる見解も自分が書いたものに因るものでなければ真であるとしないように、と「哲学原理」の中の「仏訳者への書簡」という項で述べています。またデカルトは読者に対して自分が書いたことでも真であると考えられないものは疑ってくれとも言っています。