「わが闘争」を読む限りでは、ヒトラーは"Tue nicht anderen, was du nicht willst, dass sie dir tun."(のちょっと意訳ですけど)「知らないもの知らないことなんかそもそも知りようがなく、知ったことではない、知ろうとも思わない、知る術も無い」という発想を社会悪という細菌にいとも簡単に感染してしまう汚染媒体の様に考えていました。ヒトラーは「ユダヤ人は悪党だから、殺せ!」ではなく「ユダヤ人は愚民だから、殺せ!」といって事をホロコーストに至らしめたわけです。ヒトラーはアーリア民族至上を謳いユダヤだけでなくその他の民族をも排斥しようとし戦勝後BerlinをGermaniaと改名しようとしていました、この辺りにAdolf Hitlerというヒトにおける「単純粋な国粋主義」的なものに基づくところの異常さがあります、もし本位的であるならば。ちなみに、ナチス=ヒトラー=悪であるというのはおそらく第二次大戦後のヘッドクォーターの戦略の一つであると考えるとそれなりに納得のいくものではあります。この三者は厳密に言うと全く違います。ナチス内部でもヒトラーにアンチする勢力はありましたし、あの政権そしてあの当時のドイツ社会全体がヒトラーという一枚岩で成り立っていたわけではありません。ただ、人々の行動をそれぞれの歴史的使命と鑑みた場合の歴史的事実にまつわる人々の恣意性というものも考えられます。「意志の勝利」な総統閣下な例で何なんですけど、「世界史的な使命に忠実であるためにヒトラーは最後まで屈せず自殺した」とか。だからユダヤ人虐殺が起きたというアプローチで考えることもできます。日本の場合、第二次大戦後「戦争は悪い、戦争は恐い」のideologicalな概念の下左翼教育を受けた世代から始まり、特には幼少時に施される教育の性質からして全ては犠牲者であったという考えもあり得ます。そりゃ戦争は悪いに決まってますけど、いたずらに戦争を内乱に転化させて、社会(「世の中」という言葉は嫌いなので使わない)を左傾化(日本右翼化且つ日本左翼化)させる必要は無かったはずです。
何故か日本では教育の現場に携わる教員までもが官僚を敵視する風潮があります、「そんなに官僚が偉いか、」と。低所得者層の労働者の人たちだって大部分は真面目な人たちです、が、それを、最低賃金法撤廃しろとか言ってるヒトも居るみたいですし、例えば発展途上国の限界生産性の余剰による単なる一定期間での成長率の数値上の高さという戦争はその破壊性により経済成長率を押し上げるとか言っている一部の人間の意見と同じものでしかないものが振りかざされる、ミクロ経済(学)な何かに基づいた社会構成ひいては職業観念は時代遅れというか馬鹿げてます。