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考えること

anti-egomania 5

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anti-egomania 5

子供の頃の人間関係とか思い出してもらえれば分かりやすいと思うんですけど、精神的に弱い人間というのは自分より社会的に弱い人間を必ず虐待します、つまりこういったヒトたちは「産み出して殺す」「殺す・虐待して楽しむ為に産み出す」ということを行っていたわけです、こういったヒトたちが健常な感覚を持ったヒトたちに差別されるのは当たり前のことです。例えば、小説家は事実を書いているわけではありません、事実を元にして小説を書いている小説家も居るかもしれませんけどそれにおいて書かれていることが事実であるというわけではないです。推理小説において主人公の探偵が犯人であることがタブーであるように、小説家自身が当該的に自分が書く小説の中に登場するというのは(そういうジャンルのものは別として)嫌われるでしょう。

現代においてはそういったヒトたちに対する差別が存在してはならないというのが一般的社会通念として通っていますしまた存在もしません、が、これはどんどん現実問題として為されていきます、社会の発展に有害な存在は消えていきます、経済史あたりを学べばこのことを一発で理解できます。子供を虐待する親というのは他者への精神的甘えを捨てきれず幼い自分の子供にすら甘えるような人間であり、それで子供が自分を避けるようになるとさらに虐待の度合いを加速させ、要するに「おれもおまえに甘えるから、おまえもおれに甘えろ!(しかも限りなく自分に都合のいい形で)」と言っているというわけであり、冷たいようですけど、自分の子供を虐待する親の子供というのはその自分の子供を虐待する人間の遺伝子を受け継いでおり(生物学的な遺伝の問題だけではないと考えられます、フッサールやヘーゲルの現象学について学んでみて下さい)人類の進化ということを考えた場合その子供の滅びは必然と言えば必然であり自分の子供を虐待するような親が自分の子供を虐待するという行為は然りといえば然りであるということです。生物学的な観点だけからしても劣等な遺伝子は滅びる様に出来ているということが言えそうです。どこかで、親になる為にも自動車の運転免許の様に免許を必要とする様にしてほしいという意見を見たことがありますけど、もっともな問題です。そのうち社会的に必要な分だけの有精生殖が行われるようになっているかもしれません。

skillとabilityの区別が付けられるその臨界点において、私は自分を理想主義者と定義するつもりはありませんけど、エゴイストが消えていくと共に私のようなある種理想主義的なものを掲げる者も消えていきます。悪が消えれば同じく善も消えていきます。ネットの存在もあるが故にもはやヒトラーのような理想主義者は現れないでしょうというか誰もがそれを吐き散らかして理想主義者と化すことができるが故にもはや(政治家の類としては)現れないでしょう。善悪の概念まで消えているかどうかまでは私には計りかねますけど。
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