罪悪感は(も)内から外へ出ます。これは私見ですが、おそらく恐怖心だと思われます。そこから始まって、マンガ的textで物事鑑みるようになり、性悪説へと走り、行動に他人より抜きん出たいという競争原理に裏打ちされたmotivationを必要とするようになり、場合によって拝金主義的損得勘定に頭の中を満たされながらさらなるエゴイズムの負のスパイラルへと落ち込んでいくというルートをたどるものと思われます。
他者に故意に自分を馬鹿にさせるというやり方もあります。慢心を他人に与えるとその他人は必ず駄目になります。気を付けて下さいよ。慢心を得ることとストレス解消は違います。デジタル家電やIT技術の発達により「個人『主義』」が収斂された技術に吸い取られていったという見地もあり得ます。
頭の良い人には大学へ入ってからも勉強してもらった方がいいに決まってます。私は大学院なんか出ていませんし学生の時学部学科の勉強なんか必要または有益だと判断したもの以外はほとんど真面目にやりませんでした。自己と他人を比べ競争原理に裏打ちされたmotivationによって自らの行動を律しているegomaniacなヒトが大学へ入っても自他共にあまりメリットはありません。優等生であることと偽善は紙一重だったりします。
例えば、それこそ拝金主義ということで(何らかの形での)貨幣の所持ということに光を当てるならば、自分が所持しているお札に自分の名前を書いて自分(専用?)の金だと標榜する極まれる守銭奴の馬鹿と一緒に共同体を形成したいですか?という問題がありますということであり(何故偽札が偽札であるかということ)、法定通貨によって行われる納税というものは第一義的には制度なわけであって「『納』『税』」であるというわけではないんですね。知恵溢れる日本の諺には「金は天下の回りもの」というものがありますけど、every single tax payerがどうとか、国が運営される上でそれは法務の問題であるということをご自覚なさるべきでしょう。競争原理に裏打ちされた「他者とは(地位的に)違う」というところから自分の全てが始まっているという意識に頭を占領され、結果人間たちがやることは他者をバカにすることだけになるところだったんじゃないですかね。核戦争等を除き特に現代以降の日本で過去のような形で戦争が起こることは無いでしょうけど、例えば、epidemicやpandemic等の状況下では医療従事者の家族はあらゆる側面で公的に優遇される等リスクの高い職場で労働市場に参画しているヒトたちに対するあらゆる形でのリスク軽減を目的とした補償が政府や各企業によって為されなければならないでしょう(そのような状況下で愚かしくもHow dare you.と云うのであればまず自分が火葬されるべきであるということです)。人を見下す人間はその度合いが強ければ強いほど苦渋をなめてますがその当該人物が理性的ならばそう簡単に人が人をバカにするということが起こるものではないです。自分が生きることを第一義として生きている人間というのは私がそうしているように正論をぶつけられると生きている自分をバカにされたと勘違いして怒るのですね。これはSatanist、マザーコンプレックスの権化かと思われますが。
唯名論(英:nominalism)というのは、中世のスコラ哲学において「普遍は個物の後につくられる」「普遍は個物らに共通の名に過ぎないのであって個物のみが実在する」とされていたという内容のもので、まさに「名」のみのものたるものであるというものです。これだけでは、神は個としての無限者となってしまうので、たぶんこれのみでは間違っているということになります……この唯名論と実在論の対立項である普遍論争というものをイタリア人のThomas Aquinasという天使的博士と呼ばれた神学者が一時的にですが終わらせるということがありました。
いずれにしても、中国のヒトたちにおいてももはや助けられる側になってますけど、アメリカをはじめとした欧米のヒト達に大きく助けられていることは間違い無いです。