頭の良し悪しとは別に、ヒトの肉体の成育過程にまつわる心理的成長というものがあるということも私は知ってます。この日本という国で現在形成されている社会ににおいて、自身の欲望の肯定やエゴの発露を否定されることなく幼児期から思春期を過ごし大人になった人間に対して今すぐそれを我慢してやめなさいと言ったところで無理であることも私は分かってます。私はそういった人間達とは一緒には生きていけません。主な統合失調症の説明書きパンフレットか何かには「患者の周りの人間も疲れきっています」とかなんとかいう文句が書いてあります。一番疲れきっているのは統合失調症患者本人です。一般的には統合失調症は原因不明とされていますが、これは前ブログでも書いたようにドイツ語的に考えれば分かる通り原因が不明であると同時に不明なものが原因だということです。ヒトは根拠不明なものにストレスを感じるように出来ています。少なくとも私は付き合う相手は選びます。抗精神病薬を必要とするヒトが他者の為に抗精神病薬を服薬する必要などありません。特に統合失調症患者の場合身近な人間がロクでもないエゴイストであるというケースが多々と考えて問題ありません、連中は分かりにくく陰惨に微小な傷を被害者の肉体に刻み込んでいくのであって敵を殺すのに火炎放射器を使わずにマッチで種々微細に放火するということを行うわけです。
何故精神科医は誰でもちょっとアタマを捻れば明からさまに分かる統合失調症の原因を不明なものとしているか、というと、エゴイストは前世紀の高度経済成長に見られたような前世紀までの日本型資本主義のお役に立っていたからです。前ブログでも書いたように文化人類学的にキリスト教の文化的意識がしっかりと根付いているアメリカという国では資本主義が適合しても、この日本という国では資本主義は文化人類学的というよりはもはやヒトの生態学的に合いません。日本という国はそういった気候・風土の国なんです。
個人的に訊いた話でとある精神科医が数年前に言ったことには、高いお金をかけて非常に大がかりな装置を使って測定をすればヒトの脳内で分泌物質がどのように作用しているかそして抗精神病薬がように作用するかを外部的に分かることができはするそうです。が、そんなこと全ての精神病患者に対して行っているわけもありませんし生きているヒトの脳を解剖するわけにはいきませんし、精神病患者と精神科医は同一人物ではありませんから、つまりは根拠有ってとか根拠無くとかいったことを飛び越えて、精神科医の仕事というのは物理的に精神病患者を「治し」社会的に精神病患者を作り出すことであるということです。つまり精神科医と精神科医以外の医師の役割というのは根本的に全く違います。これは強姦です。主に社会的低層の労働力再生産を如何にして上手く成り立たせるかということが行われているわけです。もちろん精神科医も薬剤師も抗精神病薬の服薬を止めろとは間違っても言いません(内科医には調子が悪くなったら抗精神病薬の服薬を止めろと言う人が居ます)。患者の弱みを逆手に取った医師の越権行為に対してははっきりと断るべきでしょう。精神科医はまず患者にされた人々から薬物も併用して認知・判断・行動にまつわる主体性を奪うことから始めます。平たく言うと人権を奪うわけです。主体性を奪われた患者はその主体性を維持することが困難なままでいることに当然嫌悪感を感じるわけなので、状況の改善を志向する精神病院に入院中であるような状況下ではあまり精神科医に逆らいません、つまり逆説的に主体性を奪われたままの状態を志向します。というか抗精神病薬が原因で逆らえるような精神状態ではなくなります。その状態で場合によっては精神科医の思い通りにされ数十年、ということもままあるわけです。カルテを誤実無きようにつけるかどうかは医師によって違いますが、真面目にそのようにつける医師は老齢の先生を除いてほとんど居ません。以前掛かっていた医師の中にはカルテはごくごく真面目にしっかりとつけるが残念ながら患者の容態を見て薬物をきちんと処方するということを行わない先生が居ました、また例えば逆に今(西暦2014年現在)掛かっている医師は患者の様子をしっかりと見て薬物をきちんと処方して患者を「改善」していく藪医者ではない先生ですがカルテのつけ方はいいかげんを通り越して要約ですらなく患者の言い分のうち自分にとって都合のいい部分だけを取り出して記載するというとんでもないつけ方をします、患者の総体的な病気はどうでもよく自分らの規定(モデルと呼び得るもの)に合ったというか合わせた「精神の治療」を第一義として(ひたすら投薬を行って)いるだけです。精神科医はこれらを精神医学の実績としているんですからちょっとどころではなくお話になりません。製薬会社が抗精神病薬の開発や販売において、現在それの副作用であるとされているものを全く持たない新薬を開発そして販売できる技術を持つのに敢えて故意にこれを行わないもしくは法的なものも含めて何らかの種の圧力によってその権限を持つことができないのか、それとも現在それの副作用であるとされているものを持つ薬品しか開発そして販売をできる技術をしか持たないのか、どうなのか、私は知りません。これは憶測ですが精神科医が統合失調症患者に対して抗精神病薬の投薬を行う際抗精神病薬における副作用であるとされている作用の効能をも狙っているのは真実でしょう、し、中には統合失調症患者も含めた精神病患者に精神病患者のレッテルを貼りたいがためもしくは個人的感慨から精神病患者を黙らせたいがために抗精神病薬の投薬を患者に対して行うという悪質な精神科医も居ます。まともな医師だったらば統合失調症患者に対する抗精神病薬の使用において罪悪感を感じるはずです。精神ひいては肉体の調子が悪くなったら(ストレスを感じやすくなってで肩や首が凝るだとか)まずはじめに内科や整形外科をあたってみるべきです。ちなみに私がこういうことを書いていられるのはひとえに私の知能とPCのワープロソフト機能のおかげです。私は統合失調症患者を多く見ましたけど、知的障害を併発している患者の人も居ますし全般的に抗精神病薬の副作用とされている作用の効能で知能が低下してしまっています。サクラかもしれませんけど、一人だけ統合失調症患者でありながら医学部の学生であったという知能高さげな患者のヒトを私は見ました。
以下、私はこうなりました、ということですけど、抗精神病薬を飲むと「決めつけ」が多くなります。短期的には、被害妄想が多くなり、自分で考えをまとめることができなくなり、思考はその途中で跳ぶことが多くなり、念慮と呼ばれる他人の声を借りた幻聴というよりは幻慮作用が多くなり(特に一般名リスペリドンもしくは商品名リスパダールの作用として多いがもちろんその他の第一・第三世代抗精神病薬でも多々ある)、口のろれつも回りが悪くなって言うべきことを相手に対して言えなくなったり、またアカシジアと呼ばれる手や足の震えが苦痛とともに止まらなくなったりする事態が起こるという最悪の効果を被投薬者に対してもたらします、が、私は10年と数ヶ月服薬していますが、5年や6年を超えての長期的なスパンにおいては(もちろん服薬を止めた時点で)良好な効果があることは事実なんですね、だから抗精神病薬というものの存在そのものを社会悪であると決め付け飲む価値が全く無いとは言い切れません。……悪いものが出ていくとお考え下さい。ただ、10代の若者で進学を希望する人だとかが飲むと人生終わりです、上記の症状に加えて、頭が内部から破裂しそうだとか脳の内部に何か異物が突き刺さっているような感触を得て勉強なんかとてもではないがやっていられる頭の具合ではなくなります。もちろん精神科医はそんなことおかまいなしに抗精神病薬を必要と判断したならば飲ませようとしますし、その抗精神病薬が必要であると判断された場合病名を告げずに抗精神病薬を飲ませようとするだけという場合も多々ありますから(例えば私がそうやって抗精神病薬を学生時代に飲まされ始めました)、学生の人たちは最初から精神科なんかにかかっては絶対に駄目です。
残念ながら他の医師らとは違って精神科医というのは基本的に患者を見下しているということです。これが知的障害者ならば全人格的なサポートが必要だということで懇切丁寧に面倒を見るということが行われるでしょう、が、精神障害と知的障害が被っている場合も患者によってはありますが、精神障害者と知的障害者はそもそも彼らによるカテゴライゼーションからして違います。精神障害者というのは社会的な観点からするところのギリギリのborderline caseと見做されてしまう、少なくとも精神科医はそういった態度で精神障害者に接することがほとんどであるということです。
意図的に傷つけるくらいなら責任持って殺せというのがはっきりしたところの考えです。